癌で義母とのお別れ

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土曜日の夜19時頃、義母が息を引き取りました。
74歳でした。

義母が70歳になったのを機に受診した検査で癌が見つかり、最初に手術をしたのが4年前の2月。
術後の経過が悪く、一時はICUに入り、生死をさまよいました。
その後私の妊娠がわかり、それに合わせたように義母の容態も少しずつよくなり、翌年の1月、ポンすけが生まれた時には病院まで来てくれました。

ポンすけの2歳の誕生日を自宅で一緒にお祝いした後、再び癌が見つかり、3度目の手術を受けてからは、全身に広がっていく癌と闘いながら、入退院を繰り返し、4年余にわたる闘病生活でした。

お医者さまからは、「今年のGWまでもたないだろう」、その後も「今週末までは無理だろう」と言われながら、5月22日まで気丈に頑張った義母。
最後の数日間は意識もなく、飲むことも食べることも、息をすることさえ困難な状態だったそうです。

 *****

私が結婚した頃の義母は、とても元気でしゃっきりしていて、根っからの関西人で、思ったことを何でもすぐ口にする、気が強いタイプの女性でした。
フルタイムで働き続ける若い嫁の私と意見や価値観があわず、度々ケンカをしました。

最初に手術をした時には私も及ばずながら、雄サンとともに病院の付添看護や高齢の義父の生活のお世話などをお手伝いしました。
義母と病室で二人きりになった時、義母が珍しく涙を流しながら、病気の不安を訴え、私が返事をすると、「あんたがそう言うんやったら信じるわ」と言ってくれたとき、なんだかお互いのわだかまりが消えたように感じました。

その後、私が妊娠したことを喜んでくれ、生きる励みにしてくれていたようです。
ポンすけが生まれてからは、以前のように我が家の育児方針や暮らし方などに意見することもなく、ポンすけの成長を温かく見守ってくれ、会うたびに「この子はかしこい子ぉや」と可愛がってくれました。
私だけに、義母の結婚後の苦労話や昔話をしてくれたこともありました。
私の仕事に対しても、日曜日に実家へお邪魔すると、「明日は仕事やろ?hiroさんも大変やなぁ」と労わりの言葉をかけてくれたり、作ったおかずを持たせてくれたりもしました。

最後は、常にポンすけの成長や我が家の2人目の赤ちゃんの誕生を楽しみにしながら、毎日頑張っていたようです。
意識がなくなる寸前、雄サンに、「hiroさんと、もっとたくさん色々な話をしたり、一緒に料理をしたりしたかったなぁ」とも話していたそうです。

 *****

ポンすけが生まれてからは介護はもっぱら雄サンに任せてしまい、私は葬儀などもほとんどお手伝いできませんでした。
家族の介護と妻の妊娠、出産、育児がそっくり重なってしまった雄サンの苦労も相当なものだったと思います。

もっと長生きしたかった義母の気持ちを思わせるような土砂降りの大雨の中、日曜日はお通夜、月曜日にはお葬式と初七日を行いました。
ポンすけには日々、私から義母のことを話し、3歳4ヶ月の小さな子どもながら、葬儀のほとんどに参加し、姿が変わってしまったおばあちゃんのことや、骨になってしまったおばあちゃんのことなどをじっと見て、色々お話をしていました。

私が義母と過ごした年月は、約10年と短かったものの、その間に私が義母から教わったこと、一緒に作ったいくつかのお料理、義母から聞いた話などを、これから大きくなっていく娘たちに、折をみて伝えていこうと思っています。

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